SDGsESG, ABCDEFG

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Column - Fashion


SDGsESG, ABCDEFG
サステナブルでないサステナビリティ

 

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Yusuke Koishi (KLEINSTEIN CO., LTD)
小石祐介/クラインシュタイン代表。
2014年にパートナーのコイシミキと共に、クラインシュタインを設立。カタカナ語がはびこる日本社会に嫌気がさし、ファッションの翻訳語として「様装」を提案する。スロバキアのスニーカーブランドであるノヴェスタのデザイン、クリエイティブディレクションを手掛け、「BIÉDE(ビエダ)」のプロデュースを行う。クラインシュタインのギャラリー・ショールーム「STEIN BOX」を運営。
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グレタ・トゥンベリ

 SDGsにESGという言葉を最近よく耳にし、目にすることが多い。SDGsと言われてもピント来ないかもしれない。これは “Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)”である。ESGは何だろか。これは”Environmental, Social, and Governance(環境、社会、統治)“の略である。「サステナビリティ」を語る時、ほとんどの人が考えているのは「環境」や「エシカル」といったことばかりだが、実はそんなに単純ではない。環境問題、人権問題、社会格差の是正、経済成長といったものは複雑に絡み合い、時にお互いに矛盾している。SDGsとESGは、世界各地で闇鍋の具のように有象無象のネタが、無自覚に「ごちゃまぜ」になって語られているのが現状である。

 「環境のサステナビリティ」といえば、グレタ・トゥンべリが紫色のワンピース姿で、鬼の様な形相で”How dare you!”と叫んだ2019年のシーンをなんとなく覚えている人がいるだろう。サステナビリティはこの前後から頻繁に語られるようになったし、二酸化炭素という単語をこんなに頻繁に聞く機会も、学生時代の理科の授業以来なかったかもしれない。そして、”How dare you!”のシーンはtwitter上では格好のmeme素材となった。

 
 実は、二酸化炭素排出抑制や環境問題は、随分前から話題になっている。かつて大統領候補だったアル・ゴアも2006年に『不都合な真実』というドキュメンタリーを発表したが、今ほど環境問題は人々の話題にならなかった。大統領時代に執務室で不倫をするという前代未聞のクリントン大統領、その下で大統領を庇っていた副大統領のアル・ゴア。どんなに「良いこと」を話していても、既得権益のスーツ姿の白人中年男性というキャラではあまり大衆に響かなかったのかもしれない。当時、何を血迷ったのか覚えていないが、私はこの『不都合な真実』を一人で映画館まで観に行ったのだが、グレタ・トゥンベリの”How dare you!”を聴くまで、観たことすら忘れていた始末である。紫色のワンピース姿のエキセントリックな白人少女の放つ怒声ほどのインパクトは残念ながら無かった。


 2020年の11月まで、ドナルド・トランプという反面教師が、欧米社会の顔として君臨したことで、サステナビリティという言葉はいつ頃からか、「サステナビリティをないがしろにする大人たち」に対抗するための記号(シンボル)となり、カウンターカルチャーのキーワードとなっていた。カルチャーの醸成は時に「敵」を必要とするのである。

 



サステナブルでないサステナビリティとそこに潜む優生思想


 さて、話を戻そう。メディアの中で語られる「環境」や「エシカル」の中には、持続可能でないものも存在する。「サステナブルでないサステナビリティ」という冗談みたいなことがいま世界各地で起きている。最も特徴的なものは、ある環境原理主義的な立場の面々が語るこういう話である。「急激な人口増加は人類の消費活動を活発化させ、環境に悪影響を及ぼす可能性が高い。それがゆえに、この状況を”どうにかしないといけないのだ”」


 日本国内の論壇で、話題になった本の中でも、電気自動車やクリーンエネルギーへの取り組みといったものは結局のところ、環境問題を解決しないため、経済成長を求めることをやめること自体、資本主義の放棄が環境問題の解決策であるという話がピックアップされるようになった。


 しかし、ここで一歩立ち止まり、眉をひそめ、おい待てよ、とならないといけないのではないか。脱税に目ざとく気がつく国税庁の職員のように。「人口増加」や「経済活動」が悪いというのは、選民主義にはならないだろうか?それは、経済成長と消費によって豊かになり、放蕩の限りを尽くした富める列強諸国やGDPトップ10に入る国々の人々が、現在発展を遂げる途上国面々に対して直球で言うことは不公平ではないか?「どうにかしないといけない」というのは、現場の粉飾やデータ改ざんを迫る大企業の経営陣や政治家の「工夫しろ」という暗の強要に通ずるものがある。


 環境のために経済活動の抑制を行い、あるいは人を減らさなければならないというのは、人類切腹計画のような暴論だ。しかし、ファッショナブルなヴィジュアルに合わせて添えられた、おしゃれで無自覚な「ハラキリ推奨運動(私は切腹しませんが、あなたたち切腹しませんか?)」が、あまりにも溢れている。
SDGs – ESGの話題を冒頭で「闇鍋」として揶揄したのはこれが理由だ。第二次大戦や、近代における数々の民族紛争が起こり、社会が形だけでも反省を行う度に、隅に追いやってきたはずの優生思想や、選民思想が、あたかも健全でファッショナブルな形で唱えられるキーワードの影に、そうした闇鍋の具が潜んでいるのだ。

 


炭鉱のカナリアとしてのファッションアクティビズム


 かつて炭鉱では、毒ガスを検知する役割としてカナリアが使われていた。採掘中の炭鉱で発生した有毒ガスに敏感なカナリアは、ガスを感知すると鳴くのをやめる。それによって炭鉱労働者は危険を察知することができたらしい。SDGs、ESGをテーマにしたルール作りがファッションを含む、あちこちの業界で策定されている。しかし、その中で実際何が起きているか、もう少し注意深くなっても良いのではないだろうか。有象無象に現れた、様々な認証機関が現在存在しており、ルールを作る側の立場が経済的に有利な状況になってはいないか。表層的な取り組みが王道として持ち上げられていないか。実態はあるのに、地味が故に全く注目されていないSDGs - ESGの取り組みは存在しないだろうか。

 ファッションもアートも、炭鉱のカナリアのように、社会現象の怪しい動きを敏感に察知し、それを創造の原動力にしてきた。


 環境保護を旗印に経済活動を批判しながら、金融資本の投資で生まれたスタートアップが開発する人口肉を食べる。リサイクルの重要性を訴えるラグジュアリーブランドにとって、大量消費の現場で富を産んだ新興国の人々が新商品の一番の消費者である。我々の社会にはこうした矛盾が溢れている。矛盾を矛盾のまま受け入れ、その上で思考する力がいま求められている。カルチャーに携わる面々は本来、「右倣え」が苦手だったはずだ。その面々が思考停止してなんとなく「右倣え」をする姿を見ていると、私の心の中にいる炭鉱のカナリアが鳴き止みをとめ、合図を送っているような気がしてならない。


 

Published: almanacs Vol.01 (2022SS)
text:Yusuke Koishi (KLEINSTEIN CO., LTD.)

 

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