Artist Talk - DEADKEBAB
ROKU、ビーバス&バットヘッド、由来
DEADKEBAB:(以下、「DK」):初めて会ったのはまだ大学生の頃だから、もうずいぶん経ちますよね(笑)。ROKUは本当に大好きな場所だった。あそこでいろんな面白い先輩方に出会えてラッキーでした!
almanacs編集部(以下「AS」):そもそもミュージシャンやアーティストになろうと思った具体的なきっかけはあったのですか?
DK:きっかけは、特になかったですね。気付いたら絵を描くのがすごく好きで、音楽も友だちとふざけて作り始めてるうちに楽しくなって。音楽を聴くのも好きだし、絵を観るのも描くのもすごく好き。そういえば、小さい頃から『ビーバス&バットヘッド』とか『シンプソンズ』とか観続けていたので、海外のアニメの影響がかなり大きかったのかもしれないです。
LJ:そう言われると、今回<loosejoints>に提供してもらったアートワークのアメリカ的な感じがなんとなく理解できるかも。ところで、クレアさんが「DEADKEBAB」という名義を使い始めたのは、パリに留学していた頃からですよね?
DK:武蔵美で映像を専攻していたんですけど、交換留学の制度でフランスに住んでいた時、いつも友だちとショートメールでお互いのことを「bitch」とか「slut」とか、冗談で罵り合っていて、その友だちが「DEADKEBAB」って呼んできたんです。それを気に入って、使わせてもらうようになったのがきっかけですね。
AS:パリもケバブ屋さん多いですもんね。
DK:めっちゃ多い(笑)!いつも遅くまで開いているし、それこそずーっとケバブばっか食べてたのもあって「DEADKEBAB」って名前がしっくりきた。道に落ちたケバブみたいな響きもするし。
ボルタンスキー、Trippple Nippples、ポワン・エフェメール
LJ:パリ時代は、立体作品を作ってたんだよね?
DK:ルーブルの向かいに良い学校があって、そこに1年だけいて立体を作っていました。結構有名なアーティストが先生をしているところで、(クリスチャン・)ボルタンスキーとかが教えていたり。
私はギヨム・パリスというアーティストについていました。基本、ディスカッションなんですよ。作品を作った人は最初は喋っちゃいけないってルールで、クラスの誰かが「君の作品はこういう作品なんじゃない?」って話し始めたりするんです。「え、違うよそれ」ってなったりすることも多いんですけど、話し合っているうちに納得することもあって、客観的な意見を聞けてすごく面白かったですね。
あとは、意図的に遊びまくることも心掛けていて、毎日色々なクラブに遊びに行って、色々な人に出会いました。
LJ:当時は、どんな箱によく行ってたんですか?
DK:「ソシアル・クラブ」でジャスティスとかエレクトロのパーティに遊びに行ったり、La CautionやSvinkelsとかフレンチ・ヒップホップのライブもよく観に行ったりとか。あとは住んでいた家の近くの運河沿いにちょっと小さめの箱で「ポワン・エフェメール」とか。外で飲みながら中で踊って、しかも箱の上にギャラリーがある、めちゃくちゃ感じのいい場所で、よく行ってましたね。
他にも友だちに色々なクラブに連れて行ってもらったりしていて、当時から音楽も作っていたんですけど、Myspaceが流行っていた時で、そこにTrippple Nippplesの曲をあげていたら、たまたま遊びに行ったゲイのパーティでいきなり自分の曲がかかって「それ私の!」とか盛り上がって、DJと友だちになったり。
LJ:それは楽しそう!
DK:めちゃくちゃ楽しかったですね。
LJ:クレアさんって、もとから英語かフランス語ができたんですか?
DK:Trippple Nippplesを一緒にやっていたのがオーストラリア人だったので、一緒に作業してる中で覚えていった感じですね。フランス語も、実際に行ってから徐々に。
LJ:なんか、その頃から一緒に遊んでいるクレアさんを見て思ってたのは、興味があることに対して、まっすぐフラットに、しかもしっかりと向き合っていく人だなということ。
興味があったら飛び込んでいくし、そこに必要な言語やマナーだったりをあっという間に身につけていく印象がある。
DK:確かに、自分の興味があることだったらそこまでうまくなくても、気づいたらめっちゃ喋ってたみたいな。
LJ:通じるものですもんね、そうやって。しかも向こうも好きなことが分かると、なんかキュリオシティ・ドライブ感が出てきたり。
ファレル、DEVO、襲名
AS:その後日本に戻って大学を卒業してから、制作のスタイルはだいぶ変わった感じですか?
DK:そうですね、卒業してからはアトリエがないし、制作スペースがないから工夫しながら、自分の家で制作しています。広いスペースが欲しい!!
LJ:彫刻とか造形だと、余計にスペースが必要になりますもんね。そういう理由もあって、絵を描くようになったんですか?
DK:そうなんです、その前はキャンバスとか描いてなかったんですけど、やっぱり絵の方が自分の限られたスペースでやりやすいからなんとなく描くようになっていった。
AS:音楽も、ご自宅で作っているんですか?
DK:今はDEADKEBAB&PSYCHIC$っていう名前で活動しているんですけど、音は友だちと一緒に作っているので、相方のトラックメイカーPSYCHIC$の家で作る方が多いですね。あと、一緒に制作に参加したりライブのときスクラッチをしてくれているALEXという友達がいるんですけど、彼の家でレコーディングもしたり。
LJ:そう言えば、まだクレアさんがTrippple Nippplesとして活動していた時なのかな?ファレル(・ウィリアムズ)が<パラディウム>ってブーツのブランドが、311の後の東京のクリエイティブの復興をテーマに『TOKYO RISING』っていうムービー制作していて、そこでファレルにフックアップされて出てましたよね。(https://www.youtube.com/watch?v=2jrBHwu_bN0)
DK:そう、『VICE』からの声掛けだったのかなと思うんですけど、Trippple Nippplesのライブを観にきてくれました。
日本に戻ってから、ミュージシャンやDJからツアーとか色々と声を掛けてもらえるようになってきて、「これちゃんとやったら色んなところに旅に出れるな」って考えて、あれこれ作戦を考え始めた時ですね(笑)。
その少し前にDEVOが20年ぶりにアルバムを出して、Trippple Nippplesとして前座でツアーを一緒にまわらせてもらったんです。2010年くらいだったかな、その時に自分で作ったZINEを持っていて、それをマーク(Mark Mothersbaugh / DEVOのメンバー)に渡したんですよね。そしたら、「DEADKEBAB」というネームを発見して、マークが「めっちゃいい名前じゃん!」って褒めてくれたんです。
それで、ZINEの中の絵を観て、「マイク・ジャッジっぽくて良いね」って言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかった!その後、マークが私たちの似顔絵描いてくれて、家宝にします。
当時はまだその名義でのみ活動していたわけではなかったんですけど、そんなこんなで「DEADKEBAB」という名前を使うようになったんです。
AS:どんなZINEだったんですか?
DK: ZINEはいろんな「curse(罵り言葉)」を絵本仕立てのAtoZ式にまとめた感じ。英語で「バカ」とか「あほ」って辞書で調べると、それこそAからZまで全部カバーできちゃうじゃんってぐらい言葉がいっぱいあって。だったら辞書にしちゃおうって思って作ったZINEです。
そういえば、「D」を「DEADSHIT」にしてたんですけど、「DEVO」にすれば良かったってマークに言われたのが面白かったな。
LJ:是非是非読んでみたいです!
Pussy Cat、フィジカル、7inch
AS:音楽とアート制作は、どんな風に棲み分けをしているんですか?
DK:意識的に棲み分けをしているわけではなくて、並行してやっている感じですね。音楽の方は友だちと一緒にやっているので、よしやろうって集まってやったり、たまにパーティーをやったりしながらだんだん作っていく感じで、ひとりの時間は、基本的にアートに費やしています。
LJ:絵の方は、オーダーがあって作るのかな?それとも毎日描いているの?
DK:毎日描くのに憧れるんですけど、締切とかでなかなかできなくて(笑)。何か依頼があったり、そろそろ展示をやろうって自分で決めたりして、そこへ向かって制作する感じですね。
AS:今回提供してくれた作品は、<loosejoitns>から依頼があって描き下ろしんたんですか?
DK:前に描いていて気に入っていた作品を、アレンジした作品ですね。
LJ:クレアさんの作品は、アートにしろ音楽にしろとてもカルチャーを感じるんですけど、自分も編集者としてカルチャーに携わってきた人間として、<loosejoitns>を復活させる時に、ずっと作ってきたメディアありきのプロジェクトよりも、ファッションや音楽、アートとか違った媒体としてのものにしたいなと思ったんです。
Tシャツというメディアはたまに驚くような不思議な広がり方をするから。この前、クレアさんに<loosejoints>で「Pussy Cat」という作品を提供してもらった時なんて、謎に滝沢カレンさんがフワちゃんにインスタでプレゼントしているストーリーが上がったりとか。思わず、「『Pussy Cat』がフワちゃんの手に渡ったよ!」って連絡をしてしまったのをよく覚えています。
これが、自分の趣向の中心だったゴリゴリのカルチャー誌を作っていると、そういう広がりにはならないと思う。純粋に自分が応援したい、一緒に仕事をしたいと思える作家さんの作品を、その価値を落とすことなく広げて、新しい価値観を創造していくためにはどうしたらよいのか、試行錯誤の日々です。
DK:声を掛けてくれて、嬉しいです。ZINEを受け取って、他のアーティストの作品とかプレイリストかもいいなぁと思っていました。今はみんな自分で発信できるようになってきていて、もちろん自分も自分で発信しているけれど、<loosejoints>みたいにファッションでも紙の媒体でも、フィジカルな繋がりを大事にしている人たちと一緒に仕事をするのって楽しいなと思います。
あ、そうえいば<loosejoints>のために猫の絵を描いたあと、そっくりな猫がうちにやってきて、今飼ってるんですよ(笑)。
LJ:それは奇遇ですね。ところで、フィジカル感で言うと、コロナの影響はやっぱりありますか?
DK:制作の上ではあまり影響なかったんですけど、楽しみにしていたライブを中止しなければならなくなったりして。去年、DEADKEBAB&PSYCHIC$で7inchをリリースしたりしたんですけど、やっぱりフィジカルなものをちゃんと出したかったんですよね。
LJ:なんか、そう言うの聞くと嬉しい!
DK:昔のレゲエの7inchのを集めたりしていて、家のターンテーブルで掛けていたりしていたんですけど、7inchってやっぱすごく楽しいなと思って。サイズも丁度いいし、曲の長さも。
それで、リリースの時配信もしたんですけど、本当は45回転のものを33回転で再生したやつを配信用で出して、それがまた面白かったんですよね。
LJ: 回転数が違うの、やばいですよね。そういうフィジカルなライブ感のあるところから、ドラムンベース然り、新しい物って生まれてきますもんね。
AS:最後に、現在制作中のものや、今後もっとこういうことをやっていきたいみたいなことはありますか?
DK:今までアクリルで描いていたんですけど、最近油絵の絵の具を買い出していて。時間がめっちゃかかるみたいですけど、やっぱりやってみたいなと思う。せっかちなので、絵に対する向き合い方も変わりそうだなと思うし、本格的に挑戦してみたいなと思っています。
AS:好きな作家とか、どの作家みたいになりたいっていうのはあるんですか?
DK :音楽でも美術でも表現方法にかかわらずいろいろ実験していって、自分が痺れるようなスタイルを発見していきたいです。作家で憧れるのはやっぱりDEVOのマーク!デヴィッド・バーン、MIAも好きだし、私がこうなりたいって思うアーティストは、音楽と視覚的な表現、どちらも爆走しています。
Published: almanacs Vol.03 (2023SS)