Artist Talk - Jun Tsunoda

<loosejoints>のゴッドファーザー・角田 純氏に伺った、アートとカルチャーのプラットフォームとしてのTシャツの可能性と、いつもクールが生まれ続けるコミュニティのできかた。



佐藤 俊(loosejoints主宰/以下、「LJ」):随分前にデザイナーとしての活動を辞め、作家活動に専念している角田さんにTシャツのデザインをお願いできるとは思っていなかったので、21SSに参加して頂き光栄です。角田さんでTシャツというと、やはり<Poetry of Sex>の印象が強いんですけど。

角田 純(以下、JT):千葉(慎二さん(故)。<Poetry of Sex>代表)から声を掛けられてポエトリーを始めたのは、1997年。当時はデザインをメインにしてたんだけど、基本、Tシャツは断っていたんだよね。それまで音楽の仕事が結構多かったから、バンドTとか、Tシャツはノベルティという意識が強かった。なんだか、デザイナーとしておまけの仕事みたいな感覚で。
千葉から相談される前にたまたまリチャード・プリンスの画集のデザインをした時に本人と会って、「お前、アーティストになった方がいいよ。まずはTシャツからやれ」と言われた。なんでTシャツなんだろうと思って聞いたら、「20世紀のアメリカの最大の発明は、ジーンズとTシャツだ」と教えてくれた。ジーンズはもともと帆布、いわゆるテント生地だったり作業着だったりしたものをファッションに変えて、世界中にリーバイスがばら撒いたと。Tシャツもファッションになったけど、さらにアートになる可能性がある。まだ誰も手をつけていないから、角田はそこをやってみたらどうだって言われた。



リチャード・プリンス、Poetry of Sex、アート


JT:そんなやりとりがあった直後に千葉から「ロンドンの<JONES>とか、海外のセレクトショップに持っていけるようなブランドを作りたいんですけど、一緒にやってくれませんか?」と相談されて、好きにやらせてくれるならということで始まったのが、<Poetry of Sex>だった。
リチャードと話してから、どうしたらTシャツがアートになるのか自分なりにずっと考えていたから、ポエトリーをTシャツのブランドにしたんだよね。一点ものでプリントTシャツを作ることにして、五木田(智央さん)やアシスタントだった石黒(景太さん)とかみんな連れて工場に行き、徹夜で仕上げていったんだけど(笑)。シルクスクリーンの考え方に近いかな。

アートとデザインは何が違うのかを考えながら作っていたんだよね。要するに、物質特性としてデザインは量産品。だけどアートは一点しかない。でもブランド的には一点ものだけでは食べていけないから、じゃあ一型手刷りで50枚までは許すということにして始めたら、割とすぐに海外の人たちが反応してきて、マーク・ボスウィックやジャック・ピアソン、(ヴォルフガング・)ティルマンスとかもやりたいということになり、ブランドが形づくられていった感じ。

その頃にはTシャツはもういいかなと思い始めていたから、ポエトリーは辞めることにした。だけど千葉がまた何かやりたいということになって、自分も最後フェードアウトしていくにあたってつくったのが<treesaresospecial>というブランド。五木田と一緒にもう一度ロゴを作ったりして。

 LJ:当時はちょうど角田さんがデザインからアーティスト活動に移行してく時でもあったのですか?

JT:そう、過渡期だね。その頃にはなんとか自分が好きにデザインできるような状況になってきていたんだけれど、やっぱりマインドがデザイナー向きじゃないことに気づいた時でもあって、もっと好き勝手やろうと思うようになっていった。白いキャンバスは何も言わないからということだけで、デザインが嫌いになったというわけではなかったんだけれど。

LJ:Tシャツもアートを意識してやられていて、それがカルチャーになり、更に商品になっていくような過程があったのかなと思うんですけど、それでTシャツも辞めようという気持ちになったのですかね?

JT:そうそう。2000年くらいにはもうアーティストたちがどんどん参加したいと言い始めて、ある種メディアとしても機能し始めていた。Tシャツがカルチャーを生み出すメディアになりうることはわかったから、これからその機能はインターネットにも広がっていくのかなと思って、もうTシャツでやる意味は自分的になくなって、自分でディレクションして雑誌をやるとかグラフィックに特化したもの、キャンバスに向かっていった。

LJ:Tシャツの役割って、どんどん変わってきていますよね。出自が編集者ということもあり、僕はTシャツをアウトプット的な要素として捉えている面がまだまだありますけど、確かにポエトリーの頃と比べると薄まっている印象はあります。リチャードさんが角田さんに言った「Tシャツはアートになりうるんだよ」というのは、本当にそうだなと思います。

JT:時代的な流れもあると思うけど、ノベルティ感覚だった頃は、言ってみれば観光土産と変わらないよね。そこからアートになって、メディアになって、ブランディングのためのものになっていった。NIKEのロゴがドカーンと入ってるようなやつとか、そういうのをみんなが欲しくなるようなブランディング的なものになって、Tシャツ自体がファッションブランドみたいなものになっていたというか。今もその流れの上にあると思う。
俊たちが今やっている<loosejoints>はまだポエトリーでやっていた時の要素が残っていて、ファッションブランドとはやっぱり違うよね、ニュアンスが。ブランディングとアートの中間くらいを模索していくように見えるし、もちろんポエトリーの時とは時代が違うけど、これからどうなっていくのかなと思ってます。

LJ:ありがとうございます。僕らは同時期のカルチャー誌にいて、ポエトリーをダイレクトに経てきたので、ずっと指針の一つであり続けいます。

JT:当時、五木田とかにもよく話していたんだけれど、年上の人に見せるんじゃなくて、年下の人に見せるものをやろう。自分たちより先に死んでしまう人に見せるより、年下の人たちに見せる方が絶対に面白いよねって、よく話してたな。

LJ:そんなことを話し合いながら作っていたポエトリーのTシャツを、パリの<colette>のサラが買いに来たりしていたんですよね?

JT:そうそう。コレットができることは知っていて、その少し前にポエトリーは始動していたのね。さっきも話したけど、千葉がヨーロッパのそういう店に出したいってことだったから、だったらTシャツとかじゃなく、まずはポスターを送りつけたらいいんじゃないかと提案したら、実際にそれをみたサラが買いにきた。


クライアントワーク、能動性、社会実験


LJ:そういえば、角田さんが広告仕事をされているときに、自分がいいと思う方向とかやりたい方向性を示してみて、理解してもらえないクライアントとは仕事をしないと言ってましたよね。自分がやりたいことを先に伝えて、それでもよければやりますよ、みたいな。まずはこちら側がターゲットを選ぶということをしてもいいんじゃないかというお話は、ルーズジョインツを始めるにあたり、とても勉強になりました。好きな作家さんの作品を扱う上で、下手なお店には卸したくないので。

JT:そういう発想と一緒だよね。デザイナーはどうしても受け身になっちゃうから、クライアントからくる仕事を受けるっていう自動的な仕事なんだけれど、もう少し能動的なものにしていかないとと思ってた。
当時はもうすぐインターネットが普通になるような時代で、ということはこっちがコアなものを出さないと誰も仕事を振ってこなくなるんじゃないかと感じていて。もしくは、デザインも大資本とじゃなければやれないようなことになるだろうと思っていたんだよね。大企業のクライアントを掴んで言うこと聞いて、マスにわかりやすいものを作るみたいな。

その逆の発想で、ポエトリーという誰も知らないような小さなブランドだったからこそ人力が問われるわけで、だからこそできることがあった。当時、<COMME des GARCONS>のグラフィックの仕事もしていたけれど、仮にギャルソンのTシャツを作ったとしても、自分たちの評価にはならなくて、「ギャルソン、かっこいいね」で終わる。ポエトリーオブセックスなんてふざけた名前にしたのも、中身で勝負したかったから。当時、Tシャツではポエトリーの方が話題になっていたのだけれど、それを五木田など仲間たちや自分の力の証明にもしたいっていう気持ちもあったかも。
アーティスト的な考え方だと思うけれど、クライアントのネームバリューよりも自分がどこまで通用するのかが重要で。

LJ:アーティストとしての角田さんの思想と、現役のアートディレクターとしての広告的な視点が混じり合う壮大な社会実験みたいで、聞いていてとても面白いです。

JT:結果的にはそういうこともやっていたのかもしれないね。Tシャツはあくまで実験の一つで、だからギャラをもらわないでやることにしたんだよ。貰ってしまうと、売らなきゃいけない責任が出てくるのも嫌で。売れるような作品も最低限作るから、あとは好きにやらせろと。ポエトリーが海外やアートの世界で受け入れられたら、それはソフトが受け入れられたという証明になると思っていたから。

LJ:自分もまだクライアントワークの割合が大きいので、以前色々と思うところがあって角田さんに色々とぶちまけたときに、ルーズジョインツみたいに自分で好きにできるようなコミュニティを持っていてよかったねと言われて、今になってその意味を実感しています。

JT:数だけではなくて質も問うべきなんだけど、大きな企業になってしまうと数だけが一人歩きしてしまうというか。第一に自分が納得するような質を追い求めようとすると、クライアントの請負い仕事ではやはり思ったようにはできないことが多いし、同じクライアントでもスタンスによってやり方が変わってくる。結果、違う形のブランディングにつながっていくんじゃないかな。


インディ雑誌、共有、コミュニティ


LJ:その言葉、とても励みになります。ところで、角田さんが作家活動に絞り込んでから、もう何年になりますか?

JT:デザイン事務所を閉じたのが2004年だから、もう17年になるね。

LJ:山梨に引っ越したのはその前ですよね?

JT:最初に引っ越したのは88年で、92年にまた東京へ拠点を戻した。32歳だったかな。それから10年くらい広告が中心だった。写真家の上田義彦さんの紹介でパルコとか西武の広告を作っていたんだけど、もっと自由にやりたいなって思うようになった。あとから考えるといちばん自由にやらせてくれたクライアントだったにも関わらず、もっとでかい仕事だったら自由にできるんじゃないかと考えたりして。実際に2~3年後にトヨタとかソニーの仕事をするようになったら、「余計うるさいぞこれは」みたいな(笑)。

それで、少し仕事の比重を変えようと思って、(後に『Spectator』で独立する)青野(利光さん)たちが立ち上げた『barfout!』っていうインディースの雑誌にADとして携わったりした。ちょうど世の中的に写真ブームみたいになってきた頃で、(写真家の高橋)恭司さんやホンマ(タカシさん)とかみんなに好きにやりたいんだったら、雑誌とかやった方がいいんじゃないって話して、『barfout!』で撮ってもらったりして。
これが中々楽しかったから、ポエトリーとかもやりつつ『HOME』という建築雑誌のADをしたり、もっと好きにやりたいことを求めていった。2004年頃からは作家活動を中心にして、今に至る感じだね。

LJ:角田さんと初めてお会いしたのも、ちょうど雑誌から離れた頃でしたね。ずっと思っていたんですけど、角田さんのところには五木田くんとかアーティストはもちろん、本当に色々な人たちが集まってきますよね。僕も色々な作家さんと接してきましたけど、なんか凄く不思議な感じでした。アーティスト同士って、あまり交流するようなイメージがなかったので。

JT:自分の経験値とか技術的なことをまず全部見せて共有することにしてるから、同年代とか年下の連中が集まってくるのかもね。絵描きだったら、画材はこういうのがいいよとか、すぐ教えてちゃう。隠すのがたぶん普通なんだろうけど、自分は少し変なとこがあって、自分の技術を共有してそこから凄い人が出てきたら、そいつに教わりたいっていう気持ちがあって。

LJ:(坂口)恭平くんとかもそんな関係ですよね。

JT:ずっとそうだね。抽象の時から全部教えてるから。ここ最近、恭平の風景のパステルとかヤバイことになってきてるんだけど、こっちから質問することも出てきたくらい、パステルに関してはあっという間にもう自分より詳しくなってる(笑)。そんな風に、自分の知っていることを伝えると、それをさらに深めてまた違ったアプローチでそれをやれる人が出てくると、自分の作品にフィードバックされていくから。
読んでる本とか音楽、知識ももちろん共有するし、それで自分が一人じゃ出てこなかったようなアウトプットが出てくるから一緒に「お!」ってなったり。そういうのが面白いんだよね。

LJ:一緒に五木田くんの展示を観にNYへ行ったときとかも、美術館行くとこの作品はいいよとか、本屋に行ってもこれ持ってなかったら買っておいたら?とさりげなく教えてくれたりして、いつも本当に学ばさせてもらってます。

JT:もちろんそれは自分の勝手な考えだから、すべてが正解なわけではないけど、それで周りの人がスペシャリストになってくれたらいいかなと。突き詰めると、人のためというより自分のためにやっているわけだから。人間は相互関係だから、こっちがオープンにしたら向こうも教えてくれるでしょ、ってことです。

LJ:角田さんしかり、自分の周りにはそういう先輩が多かったので、そういうの普通なのかなと思っていたんですけど、そんなことは全然ないらしいですよ。

JT:それはよく言われてる(笑)。

LJ:最近の、ムックリ(アイヌの口琴楽器)にしても、猛烈に広がり始めていますよね。(写真家の)田附(勝)とか、(AD・タートルヘッズの)樋口(裕馬)くんたちとのユニットsolo solo soloがいつの間にかできてたり、エゴ(ラッピン)のよっちゃんのムックリ師匠になってたりとか、またやってるなーと思ったりしてました。

JT:この間、口琴の大会があってsolo solo soloのメンバーもソロで出場したんだけど、審査中に採点システムが急に変わったりして、結局、裕馬が優勝した(笑)。その会場は(画家の)奈良(美智)さんが常連の店だったみたいで、たまたまお客さんとしてきていて「相変わらず面白いことしてるねー。愉快な仲間たち引き連れて、何してるの!」って大笑いしてた。6人出場したんだけど、solo solo soloの3人以外は二人がモンゴル人とかの構成で、気づけばお客さんも知り合いだらけになってて(笑)。


アーティスト、ギャラリー、山梨


LJ:相変わらず自由にのびのびとやってますね(笑)。そんな角田さんとギャラリーは真逆のイメージがあるのですが、ギャラリー制についてはどう思いますか?

JT:歴史的なことから話すと、ギャラリーって産業革命と共に出てきたシステムなんだよね。それまでは宮廷画家とか徳川幕府の和歌絵師みたいなお抱え系で、産業革命の時のフランスで新しく仕組みを作ろうとしてできたのがギャラリーで、それが今に続く感じ。そのおかげでやっとフリーランスだった画家も一つの職業として成り立つような世界になったわけだけれど、それがまたお抱え系の時代のようなシステムにもなっているようなところがあるのかもしれないね。
色々な意見はあると思うけど、ギャラリーにどっぷりと所属しちゃうとまた自分が自由にコントロールできる部分が減ってしまう可能性があるから、自分は対等な関係だったらたまに参加してっていうくらいがいいとは思ってる。

LJ:そういえば角田さん、また山梨に引っ越したんですよね?

JT:そう、これで三回目(笑)。最初は(樋口)裕馬が山梨に家を探していて、一緒にみに行くことになって、あれよあれよと自分が住むことになった。
ここのところ雨がすごく降ってるけど、家やアトリエを改装したり、楽しいよ。今は、家の石畳を作ってます。アトリエも近くに借りたらかその改修したり、近くに越してきた裕馬たちと畑やったりしていて、絵の制作はあまりしていないんだけど。

LJ:なんか、角田さんの絵は、あまり環境には影響されなさそうです。

JT:そうそう、自分の場合は絵を描くにあたってはあまりそういう環境の変化を具体的に感じないみたいで、でも普段の暮らしはガラリと変わるから、やっぱり楽しい。今までも何度か山梨で暮らしてきたけど、今回がいちばん山の中だから、如実に感覚が違うなという気はしてる。

LJ:改装とか落ち着いてきたら、家やアトリエに伺うの楽しみにしてます。作風もいきなり変わってたりして(笑)。

JT:そうだね、みんなで遊びにきてよ。


Published: almanacs Vol.01 (2022SS)

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