Non-Fungible Tokens are what???
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Column - Culture
Non-Fungible Tokens are what???
アートとNFTとカルチャーの間
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Aimee Marcos
エイミー・マルコス/1979年ニューヨーク生まれ。靴の多い家庭に育った、マルコス一族の末娘。フィリピンをベースにミュージシャン、ジャーナリストとしてマルチに活動中している。
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これまでアートはいつだって“ノーマル”の限界を拡大し、時代を写す鏡として機能してきた。「アートとは何か?」を考えることは、詰まるところ、世界はどう形作られ、今どんな状態であり、これからどんなことが起こりうるのか、どうありうるべきなのかを考えることでもある。時に曖昧で奇抜な考えが前衛的とされ、それらが文化として一般化されるのに、アートは欠かせないものであり続けている。
さらにアートはいかなる媒介をも包括し、筆やペイント、紙やキャンバスの域には遠の昔に収まるものではなくなっているのはご存知の通りだ。だからこそ、マーク・ロスコやジャクソン・ポラックが描いた抽象的な作品が多くの人に正当に評価されていないのかもしれない。扱いづらいほど大きなキャンバスに描かれた巨大な斑点たちの群れに本当はどんな価値があるのか、誰も知る由はない。
そんな流れの中で、アートはデジタルと出会い、絡み合い、デジタルそのものの可能性を拡げてきた。実際のところ、それらは一体化しつつあるのかもしれない。デジタルは、少なくとも我々がなんらかのネットワークに接続していたり、ソフトウェアやアプリで作業したりする限りより大きな存在になり続けてきたし、これからますます繁殖を続けていくだろう。そしてアートはデジタルのビットやデータの中に心地よくフィットし、より密接に絡み合い、その中で価値を増しながらその溢れんばかりのポテンシャルに道筋をたて導くこともできるのかもしれない。
いや、そのどれでもなさそうだ。この原稿を書いている私もまだ全容が掴めていないそのNFTなるものを、まずはゆっくりと定義を辿ってみよう。
まずは、NFTは世に五万と蔓延る頭字語のひとつで、“A non-Fungible Token=非代替性トークン”の頭文字をとったものだ。それで? ウィキペディアで調べてみると、
「NFT=非代替性トークンとは、ブロックチェーンと呼ばれるデジタル台帳上のデータの単位である。その名の通り、各NFTは(唯一の)デジタルアイテムを表すことができるため、他のトークンで代替することができない。NFTは、アート、オーディオ、ビデオなどのデジタルファイルを表すことができ、その他の形態のクリエイティブな作品を表すことができる。デジタルファイル自体は無限に複製可能であるが、それを表すNFTは、その基盤となるブロックチェーン上で追跡され、購入者にそれを保有する権利の証明を提供する」
と解説している。
つまり、NFTはオリジナルのアートワークであることを証明する一種のライセンスであり、例えばピカソの作品に「これはオリジナルの作品です」という証明スタンプが押されたようなものだと理解していい。その発行プロセスは、鑑定士が筆跡鑑定や時代考証などをするのと同じようなものだが、それがコード、つまりはブロックチェーンで定義されるトークンでなされ、マーケット上でその価値をはっきりと証明できる仕組みだ。そこで証明された価値こそが作品の非代替性トークンとなり、それが売買される。
例えば、アートシーンで注目を集め始め、近い未来にシーンを圧巻しそうなMr. Xというアーティストがいる。彼は3Dでレンダリングされたワイングラスの作品を作ることにした。このワイングラスの中はピンク色の液体が揺らぎ、背景は薄い黄色で構成されている。この時点で、Mr.Xはこの作品を所有する世界唯一の人間で、この作品に価格をつけることにした。ブロックチェーンでNFTに登録し、このアートワークを“黄色い光の中のピンクワイン”(笑)と名付け、出展した。この価格を持たない登録コード自体が価値を生み出す。世界中のアートコレクターたちが作品に対する競りを始め、Mr.Xによる“黄色い光の中のピンクワイン”という作品の価格が決まっていく。ラップトップやiPhoneのモニター上で、コレクターたちにより一喜一憂しながら評価が為されていくのだ。
資産個別の識別情報を無視して「100万円の資産価値を持つデジタルデータ」として扱い、他の暗号資産や現金と交換できる暗号資産とは違い、他の同等作品とは交換できない唯一無二の存在として扱うNFTは、既存のアート界のディラーシップを凌駕し、再定義していく可能性を秘めている。それはまるで、我々の生活やあらゆるものを再定義していったCOVID19のようだとも言えるかもしれない。この新たなアート界における開発は、アートシーンの再活性化に繋がっていくのではないだろうか。
NFTの根底にある哲学は、訳のわからない権威でがんじがらめになったアート界を今一度デモクラタイズすることにあると思う。誰でも多少の資産とコンピューターさえあれば、自分がクールだと思う作品を購入し、自分の生活に取り入れることができるのだから。しかも、NFTはアート作品にだけではなく、音楽や映像、体験など、アーティスティックなものに適用できる。6月には、The Kings of Leonというロックバンドが最新アルバムをNFTで発表したり、日本のとあるセクシー女優はファンとの共有体験提供であらぬ価格を叩き出したりしているそうだ。
現在、すべてのNFTがこのように蒐集可能な目的に使われているわけではない。ビデオゲーム内のとあるアイテムの交換に使われていたりもするのだが、この代替不可能な特質ゆえに、万能なアイテムになったり、特定のアイテムを識別することで、価値付けする機能をもったりもしている。
さらに、NFTの魅力としてあげられるのが、二次流通時に手数料が入るなど、アーティス自身が作品にさまざまな付加価値を、そのデータ自体につけることができる点だ。一次創作者に継続的にマージンが入る仕組みを作ることができるし、JASRACのような著作権管理を行う中間団体が存在しなくても済むことになる。
また、前出の名作“黄色い光の中のピンクワイン”には、まずNFTで出展したマスターデータがある。作者であるMr.Xは同作のコピーライトを保有したままなので、同作のバリエーション作品をキーチェーンで出品することもできる。バリエーションがオリジナルの価値を落とすことにつながる可能性はゼロではないが、希釈された作品は違う非中央集権的なトークン規格上のものであり、オリジナルの価値には左右されづらいだろう。
今の現実世界同様に、仮想通貨の世界は生まれたての仔馬のようにまだ軸が定まらずに震え立っているような状態だ。まだまだどう転んでいくかはわからないが、そんな世界から生まれたアートが自由に行動できるNFTというマーケットは、アートに興味を持つ人々のフィールドを開拓することにつながっていくことだけは、間違い無いのではないだろうか。
今後、そこからどんなカルチャーが生まれていくのか、まずはNFTで作品を発表しつつ、前のめりに静観していこうと思う。
Published: almanacs Vol.01 (2022SS)